ミシン百景


2018.10.12
〜7話〜

私は洋服のお直しの仕事をしています。最初はデザイナーを目指していたのですが、いろいろあって今の仕事に落ち着きました。最初の頃は「とにかく早く直して」と言われると、無理な事を言うなぁと思っていました。


ある時男性のお客様が、「これが妻の形見なんです」とワンピースを持ち込まれました。実はご自宅が火事になり、奥様が亡くなられ、全てを失われてしまったとの事でした。ほとんどのものが焼けてしまった中で、奇跡的に1枚だけ何とか残った洋服だったそうです。
きれいに修復してお渡しすると、涙を流してその服の想い出を語られたんです。その時に、この仕事は素晴らしいと思いました。「しごと以上のしごと」というものがある事もわかりました。

なんでも使い捨ての時代に、わざわざ直すという事の意味に気付きました。

2018.6.15
〜6話〜

(男性の方です)
服の思い出というと衝撃的なものがあります。
小学校の遠足の時に、母の手作りで花柄の、「姉の服」を着せられたことです。
遠足なんだから特別な服を着ていけ、という今思えば何だか訳の分からない説得により、良く考えないで着て行ってしまいました。


当然、遠足では友だちから、からかわれっぱなし。
先生からも笑われ、顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。
後にも先にも、これほど恥ずかしい思いをした記憶がありません。
弁当にも手を付けられず、どこへ行ったのかさえ覚えていません。


帰ってからは、しばらく母と口をききませんでした。

2018.5.30
〜5話〜

私の家は父も母も働いていたので、家にはお手伝いさんが通っていました。特に裕福な家庭ではありませんでしたが、当時は通いのお手伝いさんがいる家は結構ありました。近くの友だちが家に来たり、友達のお手伝いさんの所に行ったりしていました。
お手伝いさんたちもそれぞれで、話がすごく面白かったり、お菓子作りがすごかったり。私の家のお手伝いさんは洋裁がとても上手な人でした。ミシンを上手に操って、さっと簡単にブラウスとかスカートとか作ってくれました。「こんなのがいいなぁ」と言うと、早速生地を探してきてくれて作ってくれました。子どもの私には魔法のようでした。やっぱり女の子には特に人気で、みんな羨ましがっていて、私も鼻が高かったです。私はいつも傍らでじーっと見ているだけ。ぼんやりと自分も早く出来るようになりたいなぁと思っていました。

でもある日突然お手伝いさんが来なくなってしまいました。何でお手伝いさんが来なくなったかは分からなかったけど、父母に聞いてはいけない気がしていました。今でもミシンの音を聞くとあの時のお手伝いさんの後姿を思い出します。

2018.4.04
〜4話〜

私の両親は学校の先生で、しつけがとても厳しい家庭でした。母からは、いつもきちんとした身なりを心がけるよう言われ、服は全て母の手作りでした。
私は花柄の可愛い、明るい色の服が欲しいと言いましたが、母の作る服は無地で地味な色ばかり。デザインもシンプルな大人っぽいものが多かった。

当時は不満だったのですが、今思うととてもセンスのある人だったなぁと思います。
ちなみに、そのセンスの良さは私には引き継がれていません(笑)

2018.3.20
〜3話〜

私が洋服の縫製を覚えたのは、中学を出てすぐの集団就職で縫製工場に働きに出されたからです。あの頃は自分の人生を選べるような時代ではなく、地元のほとんどの者が中学を出るとすぐに都市部に働きに出されました。当時は労働環境も苛酷で、工場も縫う事も嫌で嫌でたまりませんでした。
それまでの家族との生活とあまりの違いに、夜になるとひとり泣いていました。

縫うことはただの仕事としか思わなかった私でしたが、その後娘が生まれ、娘の服を縫うことで初めてその喜びを感じる事が出来るようになりました。作ってあげることが出来て良かったと。
娘には自分の人生を希望の通りに歩んで行って欲しいと思い、ずっと応援してきました。

私の人生、娘の人生。時代によって様々だなぁと思います。
でも今は、それはそれで良かったのかなと思っています。

2018.2.13
〜2話〜

私が最初に作った洋服は、その当時付き合っていた彼氏の誕生日にプレゼントした白いシャツでした。
普通こういう場合は手編みのセーターなのでしょうけれど、私の母が洋裁学校の先生をしていた為、母に教えてもらいながら2人で作った感じです。
その後その彼とは何となく別れてしまい、彼の事も忘れてしまったのですが、自分が作ったシャツの事は忘れられません。
きっと捨てられてしまったのだと思いますが、もし叶うならそのシャツだけは返して欲しいです。
それから私の服作りが始まった原点でもある「シャツ」。母に教えてもらいながら2人で作った想い出の服なのです。

2018.1.26
〜1話〜

7年前に母が亡くなった後、母の部屋から作りかけの洋服が出てきました。亡くなってしばらくは、母の部屋の中のものを処分する気にはなれず何となく放っておいたままでしたが、3年ほど前から少しずつ整理をし始めました。


母とは性格も違い、中々判り合えず、色々ありました。親不孝な娘だったかもしれません。でも、その洋服を見つけた瞬間に、なんだかすべてが判り合えたような気がして思わず涙してしまいました。これだけは一緒だったんだなあと。
亡くなった後も母を許せませんでした。いつも心のどこかに嫌味な母が住み着いていました。私は悪くない、と。

今なら優しく話が出来そうです。なので、服を縫うときは母に語りかけるように「これはこれでいいかな~」などとぶつぶつ言いながら縫っています。今頃、親子の対話みたいに。可笑しいですよね。